東京カレッジ・シンポジウム「グローバルヒストリー」1.グローバルヒストリーはなぜ必要なのか? 2.アイデンティティのグローバルヒストリー
東京カレッジ・シンポジウム「グローバルヒストリーはなぜ必要なのか?」が開催されました
2019年9月2日(月)午後に、東京カレッジ・シンポジウム「グローバルヒストリーはなぜ必要なのか?」が開催されました。ミヒャエル・ファチウス氏(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)が司会を務め、パネリストとしてセバスチャン・コンラート教授(ベルリン自由大学)、マルク・エリ氏(フランス国立社会科学高等研究院)、シェルドン・ギャロン教授(プリンストン大学)、鈴木英明氏(国立民族学博物館)が登壇しました。
羽田正教授(東京カレッジ)によるシンポジウムの趣旨説明、司会のファチウス氏によるパネリストの紹介に続き、4人のパネリストがそれぞれの知見からグローバルヒストリーの必要性について議論しました。
まず、ドイツ、西ヨーロッパの歴史、日本の歴史に関連する研究を展開するコンラート教授は、グローバルな要因によって形づくられるナショナリズムの事例としてドイツのナショナリズムを挙げ、グローバルな視点で各国の歴史を理解する必要性を提言すると同時に、グローバル化の中でも国家の歴史がなくなるわけではないと論じました。
次に、ソ連、カザフスタンの環境の歴史と土壌科学に関する研究を行うエリ氏は、冷戦における環境科学の歴史をグローバルヒストリーというアプローチを用いて分析しました。冷戦によって分断された世界で、東西のブロックがお互いにどう対立し、協力したのか、さらに、競争ゆえに協力が進んだことを明らかにするためにはグローバルヒストリーが必要であるとの見方を提示しました。
続いて、近代日本史、比較、越境、地域歴史、日本、ドイツ、イギリスの第2次世界大戦史について多くの著作があるギャロン教授は、トランスナショナルヒストリーとグローバルヒストリーの共通点と差異を説明しました。その上で、自身の研究テーマである貯蓄を事例に挙げ、日本の歴史をズームアウトして広い視野から比較・検討することで、ヨーロッパ、アメリカ、そしてアジア諸地域との関連性が明らかになると述べました。
最後に、インド洋史を専門とする鈴木氏は、グローバルヒストリーをボーダレスな国境なき世界における一つの反応と位置づけ、今日の世界においてボーダレスな地球や世界を想像することが容易になった反面、あらゆる境界が依然として存在することに注目しました。また、海域史におけるネットワークの概念を挙げ、「境界」について再検討し、自分たちと世界の繋がり方を模索するためにもグローバルヒストリーが有効であると論じました。
シンポジウム後半では、フロアからの質問を交えてディスカッションが行われました。まず、パネリストの互いの研究にはどのような繋がりがあるのかという点で、エリ氏はそれぞれの発表が国境や境界を疑問視していると指摘し、鈴木氏は従来の歴史研究が用いてきた空間の区切り方を再検討し、私たちがどうやってこの世界を捉えなおすのかが課題であると述べました。さらに、歴史学と政治の関係、そして広くは博物館の展示や教育といった一般へのアウトリーチについての問題について積極的に意見が交わされ、日本、ドイツ、フランス、アメリカ、それぞれの学術界における課題が確認されました。
東京カレッジ・シンポジウム「アイデンティティのグローバルヒストリー」が開催されました
2019年9月4日(水)午後に、東京カレッジ・シンポジウム「アイデンティティのグローバルヒストリー」が開催されました。池亀彩氏(東京大学)が司会を務め、パネリストとしてアンドレアス・エッカート教授(ベルリン・フンボルト大学)、シルヴィア・セバスティアーニ教授(フランス国立社会科学高等研究院)、フィリップ・ノード教授(プリンストン大学)、羽田正教授(東京カレッジ)が登壇しました。
最初に、羽田教授によるシンポジウムの趣旨説明があり、羽田教授は政治や社会問題を論じる際によく使われるアイデンティティについて、グローバルな文脈で共同研究を行うことを提案しました。司会の池亀氏によるパネリストの紹介に続き、4人のパネリストがアイデンティティについて議論しました。
まず、世界史、グローバルヒストリーについて研究を進めている羽田教授は、従来の研究では、アイデンティティが世界のどこでも普遍的な概念として用いられてきたことを問題視し、例えば英語と日本語、スペイン語と日本語の間でもアイデンティティが指すものには違いがあるのではないかと述べました。さらに、アイデンティティという言葉が1960年代に日本に導入された経緯とその後の展開を紹介しました。
次に、スコットランドの啓蒙主義が専門のセバスティアーニ教授は、18世紀の後半のスコットランドにおいて、ラテン語のidemが語源となるアイデンティティは「同じでない」という意味でつかわれ、「多様性(diversity)」もアイデンティティとして考えられている近代とは反対の意味で使われていたと強調しました。ヨーロッパの国々が共通の道のりの中でどのように特異性を持つようになったのか、何がわれわれを結びつけ、何がわれわれを区別するのかという問題、普遍主義と特異性の緊張関係は今もなお続いていると述べました。
続いて、近現代フランス政治、文化史を専門とするノード教授は、エリック・エリクソンによる『Identity, Youth, and Crisis(アイデンティティ-青年と危機)』(1968年)、フェルナン・ブローデルによる『L’identité de la France(フランスのアイデンティティ)』(1986年)、ピエール・ノラによる『Les lieux de mémoire:La République(記憶の場)』(1984年)等の書籍を挙げ、アイデンティティという概念が精神分析学で個人に当てはめられたものから歴史的な分析で集団に転用されるようになったことを指摘し、これによって何が得られ、何が失われたのか分析しました。
最後に、アフリカ史を起点にグローバルヒストリー研究を展開するエッカート教授は、アフリカにおけるアイデンティティの事例を二つ紹介しました。一つ目の例として、1994年4月6日ルワンダの首都において起こった民族的大量殺人が、文化的差異の衝突にとどまらない政府という現代的な制度が準備した虐殺であったこと、より強固になった民族的なアイデンティティを示すものであったことを説明しました。二つ目の例として、1957年に独立したガーナの多民族ナショナリズムのモデルを挙げ、ナショナルアイデンティティに曖昧さがあると述べました。
シンポジウム後半では、フロアからの質問を交えて討論が行われました。司会の池亀氏は、アイデンティティをめぐる現在の政治的な状況をどう考えるかについて質問を投げかけました。パネリストらは、アイデンティティが歴史を通して構成されるものであると同時に、歴史を通して現実となり実態を持つようになり、人々がそれをベースに行動すると指摘しました。グローバルヒストリーの方法論を使うことで地球の住民としてのアイデンティティを強化することは可能なのかという議論に続き、学術界におけるアイデンティティとアクティビストのアイデンティティは区別するべきではないか、という意見や、日本のナショナリズム、スコットランドの啓蒙主義、ルワンダの大量殺戮といった多種多様なテーマをアイデンティティの問題と一括りにしてよいのか、よりふさわしい表現はあるのか等、様々な質問が挙がりました。
開催日時 | 2019年9月2日(月)、9月4日(水)15:00-17:00 (14:30開場)※両日共通 |
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会場 |
東京大学・山上会館大会議室(本郷キャンパス) ※両日共通 |
申込方法 | 事前申込制。※両日共通 各回90名(先着順、参加無料) |
言語 | 日本語・英語 (同時通訳有) |
主催 | 東京大学国際高等研究所東京カレッジ |
お問い合わせ | tcevent@graffiti97.co.jp |