TOKYO COLLEGE Booklet Series 2
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9 1..衛衛生生環環境境のの改改善善とと都都市市計計画画 洋の東西を問わず、歴史上、都市は常に拡大する存在でした。人々は富や娯楽、様々な出会いの機会を求め、都市に集まり続けてきました。周囲の農村地帯を飲み込み、人口は増大し、今や世界の総人口77億人の半数以上が都市に暮らす時代となっています。 しかし、そうした都市が、基盤となる産業の衰退や戦争等の争乱といった社会・経済的な理由以外の理由で一時的に衰退ないしは消失してしまったケースが、歴史上いくつか認められます。その理由は主に2つ。第一に自然災害、そして第二には感染症の流行です。 18~19世紀にかけて、西欧の各都市は、市民革命から産業革命へと続く社会・産業の大変革の結果、急激な人口増加を見ました。しかし、中世以来の都市構造が温存されたまま大量の人口が流入したため、下水や廃棄物の堆積、大気汚染等によりもたらされる深刻な健康被害が頻発するようになりました。19世紀前半、ロンドンで二度にわたりコレラが大発生したことは、当時の西欧都市の衛生事情を象徴するインシデントだったと言えるでしょう。 このままでは都市は、市民が安心して暮らすことができない、死んだ存在になってしまう。そうした危機感から、19世紀半ば以降、各都市はその抜本的改革に乗り出します。パリではナポレオン3世の命を受けた当時のセーヌ県知事オスマンがその大改造に着手し、わずか20年足らずのうちに、街路樹を伴った広幅員の街路網を骨格のように通し、その地下に下水道網を敷設しました。イギリスでは19世紀後半にハワードが、ロンドンをはじめとする中核都市の肥大化をグリーンベルトにより抑止し、一方で中核都市の機能と人口の一部を周囲の田園地帯に分散させるべく、衛星都市としてのガーデンシティ建設の構想をかかげました。

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