15 ので、やはり水のマネジメントは都市の発達の上で非常に重要なことが分かります。 その後、江戸時代が終焉を迎え開国すると、外来感染症の問題がいよいよ深刻になったため、玉川上水は河川水をそのまま導水して給水していたシステムから、いよいよ近代水道に発展しました。つまり、河川水を浄水場に引き込んで浄水処理を施し、浄水を管路で市中に給水するようになりました。 そもそも水道の黎明は、感染症対策という位置付けが非常に強くありました。史実として、水道の黎明はイギリスのテムズ川で河川水を砂で濾過し周辺に給水するシステムだったとされていますが、感染症対策としての水道という観点では、ドイツの事例が有名です。1892年、ドイツ・エルベ川流域でコレラが流行したのですが、同じエルベ川から水を取っているのに、河川水を未処理のまま配っていたハンブルグ市は患者が非常に多く、河川水をいったん砂で濾過してから水を配っていたアルトナ市は患者が非常に少なかったことを、コッホが疫学的に証明しました。これによりヨーロッパでは、水を処理して配ることが感染症対策として有効であることを学んだわけです。 日本においても、幕末から明治にかけて、開国に伴い外来感染症が伝播し、ほとんど免疫のなかった日本人の間で大流行した事例が複数あります。それらの事例をきっかけとして、日本で最初の近代水道が横浜で1887年に誕生しました。当時イギリスでは既に水道が感染症対策、コレラ対策として整備されつつあったこともあり、イギリス人技師が呼ばれ、横浜の近代水道を整備しました。 さらにその後、国内各地に近代水道が順次入っていくのですが、その順番は横浜、函館、長崎で、まさに外国との往来が多い港湾都市から導入が
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