TOKYO COLLEGE Booklet Series 2
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23 よりは、断続的に戦争があったのだと思いますし、近代的な戦争のように都市で暮らす人々が直接的な被害に遭ったというよりは、軍隊と軍隊が衝突するようなものでしたから、百年戦争がそのまま人口減少をもたらしたと短絡することはできないかもしれません。ただ、英仏という2つの国が長い戦争状態にあったことで、税金のような形で人々の暮らしに負担が重くのしかかってきたのではないかと思います。つまり、12~13世紀の成長・発展の時代が、14世紀に入ると大きく変動することになったわけです。 人口も、1315年の大雨の年から減少傾向となり、大ペストの年にはさらに大幅に減りました。その後も何度か減少しているので、ペストの第2波、第3波があったのかもしれません。人口がようやく増加傾向に転じるのは、16世紀になってからでした。 2. 大大聖聖堂堂建建設設にに見見るる収収縮縮のの時時代代 12~13世紀の圧倒的な成長時代が14世紀に突如として縮小の時代に転じたことは、当然予見できなかったことです。また、この時期の建設活動は、50~100年かけて大聖堂を建設するような時代であり、建設活動には非常に長い時間が必要でした。13世紀後半の拡大路線の中で建設が始まった大聖堂は、成長時代の最中で圧倒的に巨大な建築が計画されましたが、途中まで建設が進んだところで苦しい時代に転じたことで、建設活動を続けられなくなるようなことがヨーロッパ各地で起こりました。 例えば、イタリアのシエナ大聖堂は、成長時代の拡大戦略で13世紀に第1次工事が始まりましたが、それだけでは満足いかなかったようで、さらに建設を続けて東側の内陣を拡張したり、入り口側を拡張して壮麗なフ

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