41たことが多分、加藤先生がおっしゃった、人間性としてのゆとりのなさのようなところにも結び付いていると思います。本来、多様性とは鍛え上げた中で生まれるものなのだと思います。受け身の多様性ではなくて、多様性をより積極的に評価するのであれば、意見を戦わせる中から多様性は生まれてくるはずですし、社会のシステムの中で鍛え上げるプロセスがないと多様性を評価することの社会的意義はなくなってしまうのではないでしょうか。そうしたことを通じて、実はパブリックの再定義もできると思っていて、この視点は非常に重要だと痛感させられました。横横張張 あるがままでいることが良いのではなく、鍛えていく面があってこそ人間であるという観点に立つならば、先生がおっしゃったように、多様性という概念にしても、鍛えた中で今後どのように再定義していくかが問われるというのは、全くそのとおりだと思いました。本日は議論すればするほど様々な課題が見えてきて、もっと掘り下げたい議論が次々と出てきました。引き続き様々な機会に皆さまと議論を重ねながら、「元に戻る」のではなく、新しいインクルーシブな社会の形成に向け、コロナ禍の経験をどう生かしていくのかを、さらに考えていけたら思います。本日はどうもありがとうございました。
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