TOKYO COLLEGE Booklet Series 3
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13 皆さんがダニエル・デフォーという名前から連想するのは、1719年に刊行された『ロビンソン・クルーソー』ではないかと思います。『ロビンソン・クルーソー』は、近代小説の祖といわれる文学史に残る作品です。ですから、デフォーは商人、ジャーナリスト、文学者という三つの顔を持ち合わせていました。その彼が『ロビンソン・クルーソー』の3年後に発表したのが『ペストの記憶』です。 『ペストの記憶』には、現代のコロナ禍を巡るさまざまな出来事と非常に近い記述がいろいろとあって、ペストが流行した当時、人々がどのように買い物をしていたのかを記した一節があります。現代と厳密に対応するわけではありませんが、店を出入りするときに常に消毒していたり、どこか似たような感じがあります。他にも、市民がいわゆるソーシャル・ディスタンスを心掛けて外出したとか、この作品の主人公であり語り手でもある商人が、自分はロンドンで商売を続けるべきか、廃業覚悟で田舎に避難するべきか、悩んでいる場面も描かれていて、現代の光景と非常に一致します。 『ペストの記憶』がペストの記録文学として面白いのは、行政側と市民側のどちらの視点も描かれている点です。例えば、行政府の対策を語り手が褒めたたえている場面があります。「実に見事だったのは街路が常に清潔に保たれていて、遺体を片付ける作業が夜間に効率的に行われていた」というわけです。しかし、別の場面では、同じ現象でも全く異なる見方が示されています。自分の家族が埋葬される場面を見ようとして、遺体を運ぶ馬車を追い掛けていった男の視点で書かれている部分です。自分の家族がゴミのように遺棄されるのを見て、この男はショックで失神してしまうのです。 つまりこの作品は、どちらの立場が正しいかということは一切書いていないのですが、行政側から見た有能さが、まさに市民にとっては悲惨な嘆

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