19 1.「「危危機機」」のの語語法法 最初に、「危機」という言葉がどういう使い方をされているのか、少し振り返ってみたいと思います。よくあるのは、人々の話題に乗せるために「危機」を連発するケースです。それだけでは済まず、「改革」という言葉と抱き合わせで「危機」を唱えることが時々あります。この場合はしばしば、政治的、経済的な権力者が民衆に何らかのしわ寄せをする魂胆が言葉の裏に隠されています。 そして、経済史研究にも一時期そうした考え方があったのですが、今の世の中やシステムには、本質的な不安定性や本来的な不完全性があって、それがいつか顕現することへの期待という意味で「危機」を使う場合があります。この場合は、「危機」は待望されるわけです。なぜなら、危機が訪れるということは、自分たちの信じていた本質的不安定性、本来的不完全性という理論の正しさを証明するからです。 いずれの語法においても、「危機」という言葉はインフレになります。「万年危機論」で、いつも危機だという話を私たちは聞かされています。では、今起きているCOVID-19の疫病禍は危機ではないのかと問われると、やはりこれは危機であると私は考えます。ただし、それはいかなる意味で危機なのかということを正確に論ずるべきだと思います。特にその点で、現在の「危機」言説の背後に驚くべき非科学性と無責任があって、「アラート」等々の意味が必ずしも明晰ではないカタカナ語が氾濫していることに注意を向けたいと思います。そして、歴史研究者が目の前で起こっている事実をどう見るのか、どういうふうに過去の出来事と照らし合わせて今を理解しようとしているのかが問われています。
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