TOKYO COLLEGE Booklet Series 3
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42 デフォーの時代であれ、第一次世界大戦中の民衆であれ、大本営発表とは違うところで常により確かな情報、より正しさが保証される情報を求める民衆的な手段や方法がありました。われわれは、その力が少し衰えているのではないでしょうか。SNSなどいろいろな手段はありますが、実をいうとわれわれの民衆的な情報力は少し衰えているのかもしれません。だから、情報力を高めることと民主主義を鍛え直すことは、両方が並んで進むことができることなのではないかと考えます。 宇宇野野 正直申し上げて、近い未来に関しては大変悲観的です。コロナ危機は人類共通の克服すべき課題であるにもかかわらず、各国とも自国第一主義へと突っ走り、米中対立に顕著なように相互に批判して、国際的な協調がおぼつかない状況が続くことを懸念しています。しかしながら、中島先生のおっしゃる、新しいわれわれが持つべき想像力という意味では、ポジティブに考えることができる側面もあります。どういうことかというと、世界の人々がこの危機を通じて、情報を探し求めました。SNSを中心にして、世界中のどの政府がどういうことをしているのか、どういうことを語り掛けているのかといった情報に、非常に多くの皆さんが詳しくなりました。 そして、比較の目で自国の政治のあり方を批判したり議論したりするメンタリティが非常に強くなりました。ある意味でリテラシーが非常に高まったと思います。まさに人と人が触れ合う機会を失い、民主主義にとってはデモもできなくなって非常に不利な条件ではありましたが、人々の政治に対する要求が高まり、常に他国と比較しながら検討する点においては、私は人々の政治意識は非常に高まったと思っています。 これまでグローバリズムは、文字どおり人が移動することを重視してきましたが、カントはケーニヒスベルクという、当時のヨーロッパでは重要ではあるものの端っこに位置する都市に住み、そこから動きませんでした。

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