44 になるでしょう。読むというのは単に意味を理解することではなく、常に批評や判断を伴います。そして、もちろん一人一人の責任も伴うことになります。そういった形で読むことにもう一度向き合うことが、これから必要になってくると思います。 中中島島 いまだに思考の余韻がいろいろと残るようなお話をたくさん頂戴しました。私は今回のコロナ禍において、パンデミックのデモクラシーを本気で考えなければならないと思っています。それはパンデミックになってしまったデモクラシーでもあると同時に、パンデミックとしてのデモクラシー、つまりすべての人のためのデモクラシーということです。 そのためには、武田先生がおっしゃったように、やはり読む力がきわめて重要だと思います。それが私たちの想像力を鍛え直してくれるのだと思います。また、宇野先生がおっしゃったように、パンデミックですから、ひとつの国の話ではないのです。まさに普遍がもう一度問われています。それは、あらかじめあるような普遍的な価値について議論しているのではなく、普遍を立て直す、普遍化していくという問題ですね。そのときに、小野塚先生が鋭く指摘されているように、20世紀に私たちはいろいろな失敗もしているわけです。それをもう一度踏まえて想像力を鍛え直し、普遍的なものに向かって、もう少し貢献できればと思います。
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