TOKYO COLLEGE Booklet Series 5
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44 もあります。社会を設計するということは、そういったところから何かを見るということではなかったかと思うので、個別具体的な話を取り上げました。 味味埜埜 こまめに世の中で起こっていることを拾っていくことが大事なのだというのは、今日具体的に示していただいた例の中身からも分かっていただけたと思います。 それでは、先生方の間でもしご質問があれば出していただきたいと思います。 北北村村 沖先生、福永先生のどちらにも関わることなのですが、個別具体の中で、豊かであることの意味がかなり違うと思うのです。例えば「国民」という意識についても、基本的に人々は国とは関係のない個人として生きています。しかしそういった個別具体の人々が、社会という集合体に共感することによって、国民意識が生まれます。ただし、そのためには社会全体の大きなストーリーがないと共感の土台ができません。だから、個だけを見るわけにもいかないし、大きな話だけをしているわけにもいきません。 沖先生は国連の枠組みで考えたときに大きな話をしなければならない立場、福永先生は一人一人の声を拾おうとする立場ということで非常に対極的だと思います。同じ研究者として、本当はこういうことが大事なのだけど、できていないということは何かありますか。 沖沖 答えはないのですが、国連総会で偉そうに演説するだけが国連での活動ではなくて、もちろんそういう会議派の人たちもいるのですが、「現場に行って目の前の人を助けたい」という意識を持って国連で働いている方々がたくさんいます。むしろ、そういう方が国連の本来の機能であり、国連は必ずしも大枠だけをやって、偉そうに統計をいじって発表しているだけではなくて、現場に入って一つ一つ丹念に個々のストーリーを何とか

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