TOKYO COLLEGE Booklet Series 7
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38 味味埜埜 大変いい質問だと思います。福永先生のお考えを私がきちんと代弁できるか分かりませんが、今日の議論の中でも、データが大事で、いろいろな政策判断の基礎になるという話が多くありました。私もそのとおりだと思いますが、福永先生は、「数字だけを見ていてはいけない」「その背後にあるものを見なさい」という立場です。これには二つの意味があると思います。一つは、数字を取ろうとすると、あるバウンダリーや条件を決めて統計を取らなければならないので、そもそも家事労働のようにその外にあるものが入ってきません。ですから、われわれが知りたいと思っている全体像の中で、データとして得られるものはどこなのか、外にあるものは何なのかをはっきり意識するスタンスが必要です。 もう一つは、福永先生が特に強調されたことで、例えばデータを取るときに数字が上がってくるのですが、1個1個の数字に至るプロセスを見ていかないと、数字の持つ意味が見えてきません。ですから、それを知るための個別のストーリーが必要です。さきほどの私の話でも触れましたが、社会的な脆弱性があった結果として今に至っているのであれば、数字として何を見つけなければならないのかを探し出すため、何を見ないといけないかというバウンダリーを決めるためにも、質的な研究が必要です。 では、どうしたらいいかという質問は、非常に難しいと思います。福永先生の言葉をそのまま紹介すると、不確実性の中で透明性を持って確実性を追求するとおっしゃっています。私が他人から「こういう経験をして、こういう変なことに遭った」という話を聞いても、その人が思い違いをしているかもしれないし、部分的なことを見ているかもしれないので、その話の一つ一つは不確実です。その人の話に出てくる客観的な状況はどういうものかを、周りをきちんと見てその文脈を決めていくというある種の学術的な判断を乗せていったり、一人から話を聞くだけでなく、何人かから話を聞いて共通項を吸い上げていったり、「透明性を持って確実性を追求

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