TOKYO COLLEGE Booklet Series 8
34/66

32 しかし、それと同じことが、医療でない場面ではあまり通用していないということは考えた方がいいと思いました。 それから、佐竹先生からご指摘のあったscience in makingは、科学者にとっては当然で、知見が書き換えられたり覆ったりすることも当然だと思っています。それを特に政治家に伝えるときに非常に問題だとおっしゃったと思うのですが、私は政治家だけでなく一般の人に伝えるのも結構大変なのではないかと思うことがあります。政治家を評価するのは一般の人ですから、一般の人がscience in makingをきちんと理解していなくて、ころころと事実が書き換えられるのはおかしいといえば、政治家の側もそう思ってしまうわけです。やはり理科教育において学者の中でも意見が分かれることがあることや、科学的知見は時々刻々と書き換えられること、新しい知見は書き換えられることもあるということをきちんと教えていくことが必要なのではないかと思っています。 英国の少し野心的な教科書ではそういうことを書き込むようにしていますが、日本の理科の教科書は必ず答えが一意に定まっていて、要するに作り終わったものしか教えていないのです。しかし、science in makingとはどういうことか、科学的な活動とはどういうものかをきちんと教えていくことは必要だと思っています。 横横山山 今の先生方のお話を伺って思い出した事例がありました。2009年、英国で起こったクライメート・ゲート事件です。温暖化が進んでいると主張する科学者グループが、一般向けの会議の表紙に使うプロットを作る際、温度が少し下がっているように見える部分を切ってしまい、プロットを改ざんしたことが明るみに出ました。幾つかの論文をまとめて一つのプロットにする作業の途中で起きた事件だったのですが、欧米諸国では非難を浴び、気候学者の信頼を大きく損ねた事例として大きく知られています。そのとき、「Nature」などの社説がどういう議論をしたかというと、「もっ

元のページ  ../index.html#34

このブックを見る