TOKYO COLLEGE Booklet Series 8
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37 理科教育において、科学とは数式を教えることではなくて、科学とは一体どういう営みなのかをきちんと教えていかなければならないのですが、その辺はまだまだです。確かに欧米の教科書と日本の教科書を比べると、米国の教科書はイントロダクションの部分が非常に丁寧に書いてあるのですが、日本の教科書はページをめくるとまず式が出てきます。これを何とかしなければいけません。大学の先生方は、そういうところをくぐり抜けた優秀な方を扱っているわけですが、これからは今回のようなアクティビティも含めてどうやってそこを埋めていくかが一つの課題だと思います。 論論点点②② 社社会会はは専専門門家家ををどどののよよううにに利利用用すするるかか 大大竹竹 もう一つの論点は、社会、具体的には政策決定者や政治家、マスコミは専門家をどう活用すべきかというものです。 そういう観点の中で、政治家は一般市民から選ばれているといいつつも、市民は研究者や科学が多様であるのと同じくらい多様なのです。こうした方々の視点をどう入れていくのか。専門家に期待される役割やhonest broker(誠実なあっせん者)の位置付けとの関係も含めて、どう説明していくのか。信頼を得るためには、「信用してね」と言っても誰も信用してくれません。むしろ、なぜそういう議論になったかということの開陳は重要だと思います。その辺についてお話を伺いたいと思います。 藤藤垣垣 朝日新聞の「公論」のインタビューに答えたときは、4~6月の専門家会議と政治との関係について聞かれました。つまり、専門家は判断まで行うのか、判断材料の提供のみを行うのかという線引きをまさに聞かれたわけです。あの場面では専門家というのは、ある選択肢を取った場合に

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