医学における文化的出会い―伝統医学の(再)構築
生物医学は過去数百年で人間のライフスタイルを劇的に変えましたが、世界の僻地に住む人々は今も伝統医学を用いており、いささか意外なことに、伝統医学は、生物医学が主流の米国などでも支持を得ています。さまざまな医療行為に関する社会的考え方、医学的考え方は、(1)何が医学とみなされるのか、(2)何が医学的効能効果の合理的エビデンスとみなされるのか、という2つの主要な問題をめぐってしばしば激しい論争を引き起こします。こうした論争では多くの場合、「補完代替医療」(非標準的な医療)が話題になるだけでなく、さまざまな医療の地域・世界レベルでの統合も議論されます。
私の関心は、台湾が日本の植民地であった時代(1895~1945年)に、東アジアはもとより西欧や米国においても行き来が広がるなか、帝国主義と生物医学が伝統医学をどう変容させたのかという点にあります。本研究では、関連する2つの神話を解体します。第1の神話は、近代医学は進んでいるというもので、近代医学が主流になったのは医学的に優れているからだと説明されます。第2の神話は、伝統医学の絶対的な支持者の主張で、何千年もの歴史のある伝統医学のみが厄介な副作用を起こさず、法外な費用負担もなく人の病を癒すことができるというものです。
日本統治期の台湾では、近代医学と伝統医学が共存していました。植民地台湾の歴史は、台湾では主に2つの理由で近代医学が主流になったことを示しています。第1は、公衆衛生制度が感染症への対応に功を奏したことです。当時、感染症は生命へのもっとも大きな脅威でした。第2の理由は、抗生物質がなかった時代には伝統医学の医師に頼ったにもかかわらず、植民地政府は近代医学のみを認め、伝統医学は医学にあらずと中傷したことです。植民地台湾の歴史を振り返ると、伝統医学は何千年も変わらぬ「古い知恵」ではないこともわかります。20世紀以降、台湾の伝統医学の医師たちは植民地における消費のために伝統医学を再構築しました。その結果、植民地時代に西洋医学が台湾に根を下ろす一方、伝統医学は台湾から、あるいは他の国から世界に広がったのです。