バイリンガリズムのさまざまな側面(前編) - 東京カレッジ

バイリンガリズムのさまざまな側面(前編)

2024.04.06
Tokyo College Blog

この著者の記事一覧

このブログ記事は、東京大学で行われた2023年度全学自由研究ゼミナール『バイリンガリズムのさまざまな側面』の授業の一環で作られました。

Lidiya SHAMOVA(講師, 東京カレッジ ポストドクトラルフェロー)

【授業概要】「グローバル化する世界でバイリンガルになるとは?バイリンガリズムと文化、医療、音楽、教育、ビジネスの接点はどこにあるのか?

このコースでは、言語学と他の科学との学際性に焦点を当て、様々な視点からバイリンガリズムを紹介することを目指す。同化から多文化主義への世界の変遷を論じ、バイリンガリズム、ダイグロシア、マルチリンガリズムの主な定義を明らかにしながら、日本とヨーロッパの具体的な事例から3つの異なるバイリンガル・バイカルチュラル社会の違いを説明する。バイリンガルのヒトの脳の変化に焦点を当てる授業、革新的な研究のベースとなる音楽を通してバイリンガリズムとコミュニケーションのつながりを説明する実験的なパートを含む授業を展開する。」

受講生は、ビジネス・コミュニケーションの分野におけるバイリンガリズムの重要性についてゲストの講義を聴いたり、多言語環境における外国語教授法に関するワークショップに参加したりする機会に恵まれました。コースの最後には、多言語による匿名調査の実施と科学的文章の執筆に関するワークショップを行い、受講生は学際的アプローチに基づいてトピックを選択し、短いバイリンガルの文章を書く機会を得ました。

このような素晴らしい機会を与えてくださった東京カレッジのサポートに深く感謝いたします。

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アイヌ語保全の試み (清水崇源 東京大学 学部生)

明治政府が北海道を統治する決定を下して以降、先住民のアイヌ語は衰退の一途をたどっており、現在アイヌにルーツを持つ人々のうちアイヌ語で会話をすることができるのはたった0.7%にとどまっている(郡、2018)。

深刻な状況を受け、アイヌ語保全のために複数の試みが講じられている。アイヌ語の保全過程における問題の一つが、アイヌ語の音声資料が各地に散らばって保存されていることである。したがって、日本政府はアナログ資料のデジタル化とアーカイブ作成の金銭的支援を行い、それをアーカイブとして公開することを目指している(文化庁、2019)。アイヌ語の保全を困難なものにしているもう一つの要素は、アイヌ語に独自の文字が存在しないことであり(郡、2018)、研究者とアイヌの人々自身によって、アイヌ語を表記する取り組みがなされている(中川、2006)。

説明: アイヌ語を文字表記する試みの一例

引用元: https://note.com/qvarie/n/n37b9d7ed56a1

現在の状況は厳しいように思えるが、小規模であるとはいえ、アイヌ語を学ぶ人の数が増えていること(中川、2006)は希望の兆しである。アイヌ語が以前ほど繁栄することこそなくとも、揺るぎない情熱を持った人々の手によって、今後幾世代にもわたってアイヌ語が完全に消えることはないだろうと、筆者は楽観的に考えている。

参考資料

“アイヌ語の保存・継承に必要なアーカイブ化事業”, Agency for Cultural Affairs. 2019.

https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/kikigengo/archivejigyo/index.html (Accessed on Dec.18, 2023)

Kohri, Y., “0.7%の言葉 知ってほしい”, NHK. 2018. https://www3.nhk.or.jp/news/special/miraiswitch/article/article3/ (Accessed on Dec. 18, 2023)

Nakagawa, H., “アイヌ人によるアイヌ語表記への取り組み”, 『表記の習慣のない言語の表記』, Rokuichi Shobo. 2006. http://www.aa.tufs.ac.jp/~asako/unwritten/01-nakagawa.pdf

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認知症の発症を遅らせるためのバイリンガリズム(加藤遥 東京大学 学部生)

平均寿命の伸びによって認知症の有病率は急上昇しており、世界中で推定4,700万人が罹患している(Stephan et al.) 事態の緊急性にもかかわらず、決定的な治療法も効果的な治療法も今のところ提示されていない。

最近、グレイマター(GM)密度と認知症の進行との関係が、この分野の研究者の間で関心を集めている。なぜなら、GMは情報の処理と放出を司るため、人間のパフォーマンスにおいて重要な役割を持つことが知られており、したがって密度が高いほど認知機能が高いことを意味するからである(Mercadante and Tadi, 2023)。さらに、認知症患者のGM密度を画像マッピングしたところ、疾患の進行に伴い、特に側頭部と頭頂部においてGM密度が著しく低下していることが示された(Thompson et al.)。また、全脳解析法を用いた別の研究では、GM密度はバイリンガルの方がモノリンガルよりも大きく、特に下頭頂皮質において顕著であること、また第二言語の習熟度と正の相関があることが明らかにされている(Mechelli et al.)。したがって、これらの知見を総合すると、バイリンガリズムによって頭頂領域のGM密度が増加し、認知症の発症に直接影響することが示唆される。

図1. Brain image map demonstrating the average annual loss of GM density of normal subjects 

(upper 4 images) and Alzheimer’s disease affected subjects (bottom 4 images) (Thompson et al. 2003,pp. 994-1005)

図2. Brain image of left inferior parietal region with increased GM density in bilingual subjects (Mechelli et al. 2004, pp.431-757)

これらの研究は、認知症の治療法探索に希望を与えるものではあるが、GM密度に影響を与える複数の要因の存在などの困難は無視できない。しかし筆者は、第二言語習得を教育システムに取り入れるという別の価値観を提供するという意味で、これらの知見は重要であると考えている。

参考資料

Mechelli, A. Crinion, T. Noppeney, U. O'Doherty, J. Ashburner, J. Frackowiak, R. and Price, C. Structural plasticity in the bilingual brain. Nature 431-757. Nature. 2004.
https://www.nature.com/articles/431757a. Accessed: 26.12.2023

Mercadante A. Tadi P. Neuroanatomy, Gray Matter. StatPearls [internet]. National Library of Medicine. 2023.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK553239/ . Accessed: 26.12.2023

Stephan, B. Birdi, R. Tang, E. Cosco, T. Donini, L. Licher, S. Ikram, A. Siervo, M. Robinson, L. Secular Trends in Dementia Prevalence and Incidence Worldwide: A Systematic Review. Journal of Alzheimer's disease vol. 66, no. 2,. IOS Press. 2018. Pp. 653-680
https://content.iospress.com/articles/journal-of-alzheimers-disease/jad180375#ref001.
Accessed: 26.12.2023

Thompson, P. Hayashi, K. Zubicaray, G. Janke, A. Rose, S. Semple, J. Herman, D. Hong, M. Dittmer, S. Doddrell, D. and Toga, A. Dynamics of Gray Matter Loss in Alzheimer's Disease. The Journal of Neuroscience. National Library of Medicine. 2003. Pp. 994-1005.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6741905/ . Accessed: 26.12.2023

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英語学習における単一言語イデオロギー(臧 喜来 東京大学 学部生)

単一言語イデオロギーは第二言語教育において第二言語の不安を育成し、効果的な英語学習を妨げる。なぜならば、それが「ネイティブ話者主義」と絡み合い、学習者に対して非現実的な基準を設定してしまうからである(Murata 2019)。つまり、「ネイティブ並み」の能力を目指すというものである。この理想化された「ネイティブスピーカー」の概念は、学習者に不完全さや恥の感情をもたらし、しばしば第二言語不安につながる(Galmiche 2017)。というのは、実際の能力と理想とされている能力の間に差があると、否定的評価を受けるへの恐れが生じやすいからである (Gregersen & Horwitz 2002)。しかし実際には、「標準」となる英語は存在せず、「アメリカ英語」や「イギリス英語」のような権威のある言語変種でさえ、その内部に多様性があり、下記の図1に見られるように変化に富んでいるのである。

(図1:Trudgill 1999, p34)

さらに、従来の英語教育では、学習者の母語は学習を妨害するものとみなされ(Phillipson 1992)てきた。これは、世界中のさまざまな言語・文化的背景を持つ人々に英語が共通語として使用されているという動的で多様な性質を無視しているとも考えられる。(Gibson 2011)。そこで、いわゆる「真正性」や「正しさ」よりも、重視されるべきはコミュニケーションの有効性だと提案したい。学習者の言語使用において、多元的かつ動的な視点へのシフトが期待される。そうしてこそ、英語非母語話者の多言語能力とコミュニケーション能力の価値を認めることになる。

結論として、単一言語デオロギーは言語市雨ようにおいて非対称の権力構造を作り、非ネイティブ話者を周縁化してしまう。その代わりに、話者の持つ多言語的および多モードの言語資源を認識する視点として、「共通語としての英語」を採用すべきである。そうしてこそ、話者の第一言語や非言語的な手段を活用した効果的なコミュニケーションを奨励し、異文化間コミュニケーションを促進できる。

参考資料

Galmiche, D. (2017). Shame and SLA. Apples: journal of applied language studies, 11, 25-5A3.

Gibson, F., Barbara Seidlhofer: Understanding English as a Lingua Franca. Oxford University Press, 2011., Applied Linguistics, Volume 33, Issue 4, September 2012, Pages 463–465, https://doi.org/10.1093/applin/ams035

Gregersen, T., & Horwitz, E. K. (2002). Language Learning and Perfectionism: Anxious and Non-Anxious Learners’ Reactions to Their Own Oral Performance. Modern Language Journal, 86, 562-570.

Murata, K. (2019). The realities of the use of English in the globalised world and the teaching of English: a discrepancy?. Jacet journal, 63, 7-26.

Phillipson, R. (1992). ELT: the native speaker's burden?. ELT journal, 46(1), 12-18.

Trudgill, Peter. 1999. The dialects of England. 2nd rev. ed. Oxford: Blackwell

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後編へ続く

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