吉見百穴に日本の重層的な歴史を見る - 東京カレッジ

吉見百穴に日本の重層的な歴史を見る

2025.03.04
Tokyo College Blog

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執筆者:Mark TURIN, Andrew GORDON

2月半ばの火曜日の午前中、冷たい風が吹くなか、東京カレッジの遺産研究会とグローバルヒストリー研究会のメンバー、それに数名の訪問研究者も加わって、埼玉県の吉見百穴を訪ねました。

幸運なことに高麗大学のJung-Sun Nina Han教授が、このたいへん珍しい史跡訪問に同行くださいました。Han教授は前日、東京カレッジ遺産研究会で、近著『Dark Heritage in Contemporary Japan: Relics of an Underground Empire』に関するすばらしい研究報告をされ、帝国時代の戦争、植民地時代の記憶と戦後日本における場所に根差した政治との重層的な関係について理解を深める必要性を示唆されました。

吉見百穴は砂岩の斜面を掘削して造られた横穴墓群で、埼玉県吉見町にあります。重層的な歴史をもつ重要な史跡であり、1923年3月7日に国の史跡に指定されました。同地に自生するヒカリゴケ(学名Schistostega pennata)は1928年11月30日に国指定天然記念物になっています。

「百穴」という名称ですが、219基の墓が確認されています。その大半に約1メートル四方の入口があり、その狭い入口の先がやや広い石室(たいていは2~3メートル四方)になっています。なかには奥行きがもっと深いものもあります。

Han教授の著書は、日本が戦時中に植民地朝鮮の労働者を搾取したという負の遺産を、現代の日本に残そうとする市民運動をテーマとするものです。現場でこうした歴史がきわめて明確にに提示されていて、私たちは関心をそそられ、この史跡を訪ねました。吉見百穴は歴史上、考古学上、たしかに重要な意味をもつ場所ですが、第2次世界大戦末期には中島飛行機の地下軍需工場(航空機エンジン工場)に転用されました。その掘削に数千人の朝鮮人労働者が動員され、過酷な条件で働かされたのです。当時、日本の当局は朝鮮人労働者の保護にさして関心がなかったようですが、碁盤目状の地下壕は、中島飛行機の社員と設備をアメリカの空襲から守ることが目的でした。

しかしながら、この地下軍需工場がフル稼働する前に1945年8月の終戦を迎えました。1944年から45年にかけて懸命に建設された地下施設の中では異例なことに、1990年代初め、地元の活動家ら(全国的なネットワークのメンバー)が吉見町に働きかけ、朝鮮人労働者による地下壕掘削と過酷な労働実態を詳しく伝える常設展示を吉見町埋蔵文化財センターで実現させました。

吉見百穴の洞窟トンネルを覗く。撮影:Mark TURIN

私たちは岩室観音堂にも行きました。吉見百穴から南へ150メートルに位置し、町中心部に通じる幹線道路の近くにあります。この観音堂のはじまりは800年代に遡りますから、約1200年もの歴史があります。弘法大師が岩を穿って観音像をつくったと伝えられており、信仰のよりどころとなりました。観音像は高さ36.4センチメートルで、これが納められた岩窟は岩室山と呼ばれました。

代々の松山城主がこの観音を信仰し護持していましたが、1590年、豊臣秀吉が関東地方に侵攻した際に松山城は攻め落とされ、当時の観音堂は焼失しました。現在の岩室観音堂は、江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が近郷在住の助力を得て再建したものです。吹き抜けのお堂は懸造りですが、江戸時代のものとしては珍しい造りになっています。

岩室観音堂の屋根の梁。遍路が参拝したことを知らせるために貼る「銭札」に注目。

吉見町埋蔵文化財センターは、この地域で発掘された弥生時代と古墳時代の遺物を興味深く展示し、戦時中関連の展示もある施設ですが、その運営・維持費は誰が負担しているのだろうかというのが、同行した複数のメンバーが抱いた疑問でした。私たちはそこに2時間ほどいましたが、他に訪問者はほとんどいませんでした。もっとも、真冬の平日の寒い午前中は、大勢の人がやって来る時間帯ではないのかもしれませんが。「朝日新聞(2022年11月07日夕刊3面)」の記事によると、コロナ禍の期間を除き、近年の年間来場者数はおよそ6万人だそうです。入園料はわずか300円ですが、町は吉見百穴への投資に見合ったリターンを得ているのでしょう!

この「フィールドトリップ」は、東京カレッジの研究者たちがキャンパスを離れて交流し対話するよい機会になりました。吉見百穴を訪ねたことで重要な文化遺産をじかに体感することができましたし、日本の重層的な歴史(古代、近世、近代)について理解を深めることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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