中国とイスラーム世界:葛兆光『中国は“中国”なのか』を読む
葛兆光教授曾于2020年1月起连续8个月担任东京大学国际高等研究所东京学院的特任教授。日前,葛教授的《中国は“中国”なのか:「宅茲中国」のイメージと現実》由东方书店出版发行,这是2011年出版的中文著作《宅兹中国》(中华书局、联经出版事业公司)的日语译本。因为需要具备一定程度的中国和中国研究的专业知识,所以本书的阅读和理解并不那么容易。但是,这本书内容很有深度,是一部非常出色的、能令人思考人文社科研究中各种问题的著作。本书提出了许多学者之间应该深入探讨的重要论点。不仅仅是中国研究,可以说是思考未来的人文学时的必读文献。在此,我想从我所关注的问题出发,在诸多问题中聚焦“作为解释历史和叙述框架的‘中国’”这一点,发表我的感想。
文化的なまとまりだとすれば、地図上ではっきりとした線を引きどの範囲が「中国」なのかを示すことは難しい。人々の集団の場合も同様だ。様々な意味での「中国」に帰属意識を持つ人々は、世界中に散らばっている。線引きは簡単ではない。「中国」が政権の領域のことだとしても、政権の領域は時代によって異なるし、複数の政権が並び立つ場合、どこからどこまでを中国と考えればよいのだろう。少なくとも、時代を越えて同一の定まった地理的空間を中国と呼ぶことはできそうにない。
このように、見る角度によって様々な姿で眼前に現れる「中国」の歴史を、どのように統一的・体系的に描くことができるのだろうか。もし私の理解が誤っていなければ、葛教授は、政権の地理的な領域とは必ずしも重ならない漢族の文化共同体が古くから存在しており、それに注目し、その歩みを時系列に沿って描けばそれが中国史になりうると考えている。地理的な空間にはこだわらないのである。「中国」の歴史は、領域と国民の存在を自明の前提として国家の歴史を描こうとするヨーロッパ近代歴史学的な方法とは別に描けるし描くべきだというのだ。それは近代ヨーロッパが生み出した歴史学研究の前提や方法の相対化である。
如日译本书名《中国は“中国”なのか》所示,葛教授通过这本书提出了作为历史记述的单位或叙述框架的“中国”究竟为何的问题,将在此之前无需置疑的“中国”这一概念特意作为问题提了出来。“中国” 的意思是文化上的统一体吗?还是指人的集团?或者是指地理上的空间,抑或是指政权的疆域?
如果是文化上的统一体,那么,在地图上很难画出清晰的线来表示“中国”的范围。指人的集团时也同样如此,各种意义上的、对“中国”抱有归属感的人们,散居在世界各地,也很难简单地在空间上画线界定。假使“中国”是指政权的疆域,但历史上政权的疆域因时代而异,在多个政权并立的情况下,从哪里到哪里能够视作“中国”?至少,我们似乎无法超越时代,将同一个既定的地理空间称为中国。
那么,如何才能将通过不同观察角度呈现在眼前的各种姿态的“中国”历史统一并系统地描述出来?如果我的理解没错的话,与政权的地理疆域并不一定重合的汉族文化共同体自古以来就存在,葛教授关注到了这一点,并认为如果按照时间轴描述这个文化共同体的历史,或许就可以构建中国史。因为这一叙述无需拘泥于地理的空间。“中国”的历史,和以疆域和国民的存在为明确前提试图描述国家历史的欧洲近代历史学方法不同,可以用其他的方法描述、也应该用其他方法描述。这可以相对化近代欧洲产生的历史学研究的前提和方法。
追寻葛教授的思考轨迹,虽然有点冒昧,但我想起了我曾经与“伊斯兰世界”这一概念搏斗过的经历。在2005年出版的《伊斯兰世界的创造》(东京大学出版会,2005)一书中, 我讨论了作为描述历史的框架的 “伊斯兰世界”究竟为何的问题。(这本书增补新的一章后,2021年2月以《<伊斯兰世界>是什么:描述“新的世界史”》为题出版,收入“讲谈社学术文库”。另外在葛教授的支持下,2005年初版被译为中文出版(《“伊斯兰世界”概念的形成》(刘丽娇、朱莉丽译,上海古籍出版社2012年))。
“伊斯兰世界”是指人的集团,还是文化的统一体?是地理空间的概念,还是政权的疆域?针对这一系列问题,我在本书中批判了日语“伊斯兰世界”一词的模糊性,指出这一概念是在近代欧洲的知识体系中产生的。而且,“伊斯兰世界”这一概念具有正(≈伊斯兰主义)和负(≈东方学)的两种意思。无论是哪种意思,对于欲将这个概念实体化的人来说,历史很重要,为重视“伊斯兰世界”这一概念的群体描述的“伊斯兰世界”史可以存在。但作为叙述世界历史的单位或者框架时,则是不成立的。
再一细想,我在这本书里提出的问题,也完全适用于“中国”。无论是作为地理空间还是人的集团,“中国”和“伊斯兰世界”都是模糊而难以定义的,而且两者在作为文化共同体这一点上也是共通的,两个概念其实非常相似。正如葛教授在本书中严谨论证的那样,19世纪末以来,日本学者热衷研究“中国”和“亚洲”(东洋)的历史。另一方面,“伊斯兰世界”史的研究,则由欧洲和美国的学者积极展开。也许学者们并没有意识到,他们的研究都是“他者”的研究。可以说,“中国”和“伊斯兰世界”都为强化日本或西方的“自我”认同而被利用。
その一方、両者には大きな違いもある。一つは、「中国」が古くからの自称であるのに対して、「イスラーム世界」は19世紀に創造された他称だという点である。もっとも、この点については誤解がないように注意が必要だ。19世紀以前のムスリム知識人の間に、自分たちを一つのまとまりととらえる意識がまったく存在しなかったわけではないからである。例えば、アラビア語の’ummaやdār al-islāmという概念がそれである。前者は、ムスリム共同体という人間集団、後者はイスラーム法によって社会が秩序づけられている空間という意味である。それらとは別に、19世紀以後のヨーロッパ近代知によって、他称としての「イスラーム世界」という概念が創造されたのだ。’ummaやdār al-islāmと「イスラーム世界」の間には意味と系譜の断絶があり、両者は直接スムーズにはつながらない。
もう一つの違いは、現代世界において、「中国」は直接結びつく政治的主体として中華人民共和国を持つ(台湾についてはここでは措く)のに対して、「イスラーム世界」はそれを持たないという点である。国家がその過去、つまり歴史を必要とすることは、葛教授ご自身も本書で強調している。「伝統的な歴史研究の意義の一つとして、国民国家(文化的な意味での)という理解をつくりあげることがあり、国家にとって過去の伝統とはアイデンティティの確立に供するものだ」(320頁)。つまり、国民国家という「自」を確立するためには自らの過去が必要であり、それを語らねばならないということだ。
「イスラーム世界」史という枠組みはこの点では有効ではない。確かに、ムスリムが住民の多数を占める国家にとって、イスラーム教は政治や社会、日常生活において留意すべき重要な要素である。しかし、そのような国家は世界に50以上存在する。これらの国々にとって、「イスラーム世界」史は、他国と区別して「自」を確立する枠組みとはなりえない。例えば、イランにおける歴史理解の基本的な枠組みは、「イラン」であり、「イスラーム世界」ではない。私が知る限り、それはムスリムが住民の多数を占める他の国々でも同様である。新たに「イスラーム世界」という空間的に巨大な「国家」が現実に構想されない限り、「イスラーム世界」史は国家形成とは結びつかない。
では、「中国」の場合はどうだろう。葛教授は「はてのない「帝国」という意識のなかにかぎりのある「国家」という観念があり、かぎりのある「国家」という認識のなかに、はてのない「帝国」のイメージが保持されていた」という(321頁)。文化共同体としての「中国」は少なくとも宋代から連綿と続いており、それがある時に単純に近代ヨーロッパ型の主権国民国家に変身したのではない、それゆえに、「中国」の歴史は領域と国民を前提としたヨーロッパ近代の主権国民国家建設の歴史を基準や尺度として理解される必要はないとも論じられる(本書の序論を参照)。私はこの意見には賛成である。世界各地には、その地における国家形成の様々な道筋があり、ヨーロッパ近代に見られる現象が普遍的だとは考えない方がよい。
とはいえ、現代世界には、中国とも呼ばれる中華人民共和国という主権国家が存在する。主権国家である以上、この中国は歴史を必要とするだろう。では、漢族の文化共同体としての「中国」史は、中華人民共和国の歴史となりうるのだろうか。この「中国」史は中国国内の漢族以外の民族にも共有されるものなのだろうか。葛教授は「中国」は文化的な意味での国民国家であり、政治的な意味でのそれではないという(320頁)。しかし、だとするなら、文化共同体としての「中国」の歴史と中華人民共和国の歴史はどのような関係にあるのだろう。もし、漢族の文化共同体としての「中国」史と中華人民共和国の歴史が重ならないのだとすれば、中華人民共和国の歴史はどのように描かれるのだろう。葛教授に私が尋ねてみたいのは、これらの問いである。
但是另一方面,两者也有很大不同之处。其一,“中国”是自古以来的自称,而“伊斯兰世界”则是19世纪创造出来的他称。不过为避免误解,这里有一点需要引起注意,19世纪以前的穆斯林知识分子之间并非完全没有将自己视为一个整体的意识。例如,阿拉伯语的“’umma”或“dār al-islām”的概念就是如此。前者指穆斯林共同体这一人的集团,后者指基于伊斯兰法而形成的井然有序的社会空间。与此不同的是,19世纪以后的欧洲近代知识创造的作为他称的“伊斯兰世界”这一概念。“’umma”和“dār al-islām”与“伊斯兰世界”之间,存在意思和谱系的断绝,两者之间并不能直接顺畅地联系起来。
另一个不同之处是现代世界中,“中国”拥有可直接接续的政治主体中华人民共和国(台湾暂且不论),而“伊斯兰世界”则不具备明确的政治主体。葛教授本人也在著作中强调,国家需要其过去,也就是历史。“传统文史研究的一个重要意义就是建立对国族(文化意义上的国家)的认知,过去的传统在一个需要建立历史和形塑现在的国度,它提供记忆、凝聚共识、确立认同。”(日译本第320页,中华书局本第291~292页)。也就是说,为了确立国族这个“自我”,自己的过去是必要的,而且是必须叙述的。
“伊斯兰世界”史的框架,在这一点上并不有效。的确,对于穆斯林占居民多数的国家来说,伊斯兰教是政治、社会和日常生活中需要留意的重要因素。但是,世界上有50多个这样的国家,对这些国家来说,“伊斯兰世界”史并不能成为区别于其他国家而确立“自我”的框架。例如,伊朗理解历史的基本框架是“伊朗”,而不是“伊斯兰世界”。据我所知,这在穆斯林占居民多数的其他国家也是如此。现实中只要没有新的“伊斯兰世界”这一空间上的、巨大的“国家”的构想出现,“伊斯兰世界”史就无法与国家形成联系起来。
那么,“中国”的情况又如何呢?葛教授是这么论述的:“(在中国)是在无边‘帝国’的意识中有有限‘国家’的观念,在有限的‘国家’认知中保存了无边‘帝国’的想象。”(日译本第321页,中华书局本第293页)作为文化共同体的“中国”至少从宋代连续至今,它并没有在某个时点单纯地变成了近代欧洲型的主权民族国家。因此,“中国”的历史没有必要用以疆域和国民为前提的欧洲近代主权民族国家建设的历史为基准和尺度来理解 (参考本书绪说)。我赞成这个意见。在世界各地,国家形成有各式各样的路径,最好不要认为欧洲近代出现的现象就是普遍的。
但现代世界,中华人民共和国这一主权国家亦称为中国。既然是主权国家,中国就需要历史。那么,作为汉族文化共同体的“中国”史,能否成为中华人民共和国的历史呢?这个“中国”史,是否也为中国国内汉族以外的民族所共有呢?葛教授认为“中国”是文化意义上的国族,而不是政治意义上的政府(日译本第320页)。但如果是这样的话,作为文化共同体的“中国”的历史和中华人民共和国的历史又是怎样的关系呢?如果作为汉族文化共同体的“中国”史与中华人民共和国的历史不重合的话,那么,中华人民共和国的历史又该如何描述呢?这些是我想向葛教授请教的问题。
原著出版から十数年が経った現在の私は、歴史学者は家族や町、組織、国、地域など複数の帰属意識を持っているが、それに加えて「地球の住民」という意識を持ち、その立場から世界史を解釈し、叙述するべきだと考えている。複雑な帰属意識を反映して様々な角度からの多様な世界史解釈がありえるが、それらが地球の住民という意識を持って叙述される限りはすべて受け入れるということである。従って、例えば、イスラーム主義者が、地球の住民という意識を持ってその立場から世界史を語るなら、そこで「イスラーム世界」という枠組みを使うことはありうると思う。もちろん、その「イスラーム世界」がどのような意味で用いられているのかは明確に定義されていることが条件である。
同様に、現代においては、文化共同体としての「中国」に帰属意識を持つ人が世界史を描く場合も、地球の住民という立場からの解釈が提示されるべきだと私は思う。その場合、世界史は何を叙述の単位として描かれるのがよいのだろう。従来の世界史は、明朝やオスマン朝、フランク王国など政治権力を叙述の単位として描かれることが多かった。政権とは重ならない文化共同体としての「中国」を叙述の単位とした場合、「中国」以外の叙述の単位はどのようなものになるのだろう。「イスラーム世界」や「カトリック世界」「正教世界」などという文化共同体を重視し、それらを「中国」と並ぶ叙述の単位とするのがよいのだろうか。それとも、同じ性格を持つ叙述の単位を一律に設定せず地域や時代によって多様な枠組みを採用するべきなのだろうか。「中国」史の把握と叙述の仕方についての葛教授の主張は理解できる。しかし、私にはその「中国」史を地球の住民のための世界史にどのように位置づけるのかがよく分からないのである。
关于“中国”和“伊斯兰世界”,我还有一个问题想和葛教授交换意见。那就是关于世界史叙述中如何描述中国的问题。我在上述拙著中曾经提到,不应将“伊斯兰世界”这一历史理解框架导入世界史叙述中。理由是欧洲中心或伊斯兰中心的历史解释会渗入其中。但是,当时执笔时,我对历史学家的定位(立场性)认识不足。因此,我在拙著里只是笼统地使用了“世界史”这个词,实际上,并没有论及到由谁、以怎样的立场记述的问题。
拙著出版已经十多年了。我现在认为,历史学家不但同时拥有家族、村镇、组织、国家、地区等多重的归属意识,而且还需要具有“地球居民”的意识,应该在此立场上解释、叙述世界史。我们可以从反映各种复杂归属意识的各种角度做出多种世界史解释,但只要那些世界史解释是基于地球居民的意识叙述的,就都能被接受。因此,假如伊斯兰主义者带着着地球居民的意识,从其立场来叙述世界史的话,我认为使用“伊斯兰世界”这个框架是可行的。当然,其前提是需要对使用的“伊斯兰世界”所代表的意思作出明确定义。
同样我也认为,现代对作为文化共同体的“中国”抱有归属感的人描述世界史时,也应该从地球居民的立场作出解释。在这种情况下,世界史应该以什么作为叙述的单位描写为好呢?以往的世界史描述多以明朝、奥斯曼王朝、法兰克王国等政治权力为叙述单位。如果将与政权不重叠的、作为文化共同体的“中国”作为叙述单位的话,那么“中国”以外的叙述单位又将是怎样的呢?重视“伊斯兰世界”、“天主教世界”、“东正教世界”等文化共同体,将它们作为与“中国”并列的叙述单位是否妥当?还是不应该对具有相同性质的叙述单位做单一的规定,而应该根据地域或时代采用多样的框架呢?我理解葛教授关于“中国”史的把握和叙述方法的主张。但是,我对这个“中国”史在为地球居民叙述的世界史中如何定位的问题尚不甚明了。
現実の世界を分析と考察の対象とする政治学や社会学などの社会科学諸分野では、中国とはすなわち主権国家である中華人民共和国のことである。そこに議論の余地はない。しかし、歴史学だけではなく、文学や思想、宗教研究などの人文学の多くの分野では、「中国」という枠組み自体が問題となる。葛教授の著作はこの重要な論点を明らかにした。何を枠組みとして誰が何を語るのか、「2050年の人文学」を主要な研究テーマの一つとする東京カレッジにおいて、私たちはこの根本的な問いに向き合いさらに議論を深めてゆきたい。
在以现实世界为分析和考察对象的政治学、社会学等社会科学各领域里,母庸置疑,中国即是指主权国家中华人民共和国。但是,不仅仅是历史学,在文学、思想、宗教研究等人文学的诸多领域里,“中国”这一框架自身就是一个问题。葛教授的著作揭示了这一重要问题。在以“2050年的人文学”为主要研究主题之一的东京学院,我们将直面这个根本性问题继续进一步深入讨论。
(中国語訳:張厚泉(上海財経大学特聘教授、東華大学教授))