2050年に向けて、未来の病院 ーアートの果たす役割ー
このブログ記事は、東京大学で行われた2020-2021年度全学セミナー『2050年の地球と人類社会―分野横断的なアプローチを通して』の授業の一環で作られました。当授業では、異なる専門分野から集まった東京大学の学生一人一人が、2050年に向けた課題をひとつ選び、その課題についてお互いにフィードバックを与えながら分野横断的な理解を深め、研究結果を発表しました。この記事はその中の一つの課題をブログにしたものです。
執筆者
小畠美穂
東京大学教養学部前期課程理科二類 学部生
新型コロナウイルスの感染拡大により、医療の効率化が進んでいます。医療崩壊の危機が叫ばれる今、効率的に医療を行うことがより多くの人々を救うことになるでしょう。しかし、患者さんを真に効率的に救うためには、一見効率的でないことが必要になります。病気を治す(cure)ことに注目しすぎると、患者の状態を悪化させてしまうことがあるからです。病院は、多くの人々の人生に関わります。アートの力を用いることで、病院が病気を治す(cure)ためだけでなく、患者を気にかける(care)ようになれることを、ここで検証してみたいと思います。
まず皆さんは、病院に対してどのようなイメージを持たれているでしょうか?私にとっての病院とは、少し緊張する、病気を治すための場所です。私が伺った、訪問診療を行っている医師の先生のエピソードを紹介します。その先生が診ていた患者さんは、病院で長く過ごしていましたが、人生の最終段階に差し掛かったとわかったとき、家に帰りたいとおっしゃいました。関係者の協力により、自宅に帰ることができ、希望通り自宅で看取られたのです。医師の先生が、患者さんが亡くなったことを病院に伝えたとき、看護師の方から「自宅に帰れてよかったね」と言われました。先生は、病院での看取りが良いものではないという看護師の認識が衝撃だったそうです。実際に、患者側も同様の認識をもつ傾向にあります。「自宅で最後まで療養したい」「自宅で療養して、必要になれば医療機関等を利用したい」と感じる割合は約6割です(厚生労働省, 2017)。このことから、私は、病院は病気を治すための場所であって、癒される場所ではないと感じるようになりました。
しかし病院は、病気を治すためだけでなく、人生を過ごし、人生を終えるための場所でもなければいけません。病院で人生の一部、さらには最終段階を過ごす人が多いからです。例えば、透析治療を受ける患者さんは繰り返し病院に通っています。1回4時間の透析を行うために週3回通院することが標準的で、その治療は一生続くことが多いです。また、一般的に人生の最終段階は病院にて過ごされています。実際に、看取りの81%は病院で行われているのです(厚生労働省, 2017)。病院は、人生の一部、大部分を過ごす場所であり、人生を終える場所でもあるにもかかわらず、現在の病院はそれにふさわしくないと感じられていることは上述の通りです。つまり病院とは、病気を治すだけでなく、人生を支える場所でもある必要があります。
ここで「病気を治す(cure)」ためだけでなく、「患者を気に掛ける(care)」ことに重点をおいて病院をデザインすることを提案します。これは今までの効率化とは逆で、ゆとりをうむ方向の働きです。アートがこのゆとりとして適しており、患者の心に余裕と豊かさをうみます。ここでは、アートを、芸術や、その創作活動、鑑賞活動として定義します。これらは、感性に訴えかける何らかの表現とも言い換えられるでしょう。例としては、絵画、音楽、文章、デザイン、建築などが挙げられます。今までの病院は、効率と清潔さが重視されており、アートが関わることはあまりありませんでした。具体例として、色について検討します。一般的な病院といえば、綺麗で清潔な白っぽい壁、整頓された病室と廊下などが連想されるでしょう。白色は汚れが目立ちやすく、清潔さや衛生さを保ちやすいため、医療にとっては効率が良いのです。栗原(2014)によると、1800年代の手術での術者は黒い服を着ていました。これは、スーツと同様に黒はフォーマルな色とされ、手術にふさわしいと考えられていたからです。19世紀後半以降のヨーロッパ、アメリカから、衛生の効率性から白色が選ばれるようになりました。一方で、現代は白にこだわらなくても衛生管理が可能です。白色は無機質で冷たい印象を与えるため、特に小児科や精神科では、緊張を避けるために白が使われなくなり、代わりに暖かい色調を用いた壁や病室、プレイルームなどが増えています。建築家の岡本清文(近畿大学文芸学部教授)は小児患者の恐怖を軽減するために、大学付属病院の小児処置室の空間デザインを変更し、患者の恐怖の緩和と、医療の治療しやすさを両立しました(2013)。
写真からは、部屋の色調から始まり、照明の配置や壁のデザイン、床の素材に至るまで、工夫されていることがわかります。このようにアーティストが介入することで、病院デザインにケアの視点が加わるのです。
この他にも、アートを取り入れたいくつかの新しいスタイルの病院を紹介します。
かがやきロッジ
かがやきロッジは、2017年に設立された、岐阜県羽島郡の在宅医療専門のクリニックです。この建築デザインは、木造で暖かみを、大きな窓と外の庭で開放感を生んでいます。木造建築であるため、少しずつ修理をすることで、200年もつと言われています。業務上、必要とされるスペースの3倍以上の空間を使って建築されており、食堂や、学習室、展示場など、一見、医療とは関係ないことに使われています。これらは、患者だけでなく、その家族、知り合い、近隣住民など、地域の人々が集まれるスペースとして作られました。このことにより、孤独や不機嫌、自己肯定感の欠如などの「不健康」からの回復が見込まれます。
ビジョンパーク
ビジョンパークは、2017年に設立された、兵庫県神戸市の眼科総合病院である神戸アイセンターのエントランス部分に存在する視覚障がい者のための総合支援エリアです。実は、このスペースには段差が多く、手すりがありません。これは一見すれば、視覚に障がいのある方に対する配慮がないように思えます。しかし、デザイナーが当事者の意見をきき、白杖で、安全に挑戦できるような段差の高さや、手すりとして利用できるような家具の配置を考えたものです。さまざまな危険を全て予防してしまうのではなく、視覚障がいのある方の生命力を引き出すためのデザインになっているのです。また、段差が多く、手すりもない、このエントランスには、クライミングウォールやキッチンの設備があります。ボルダリングのトレーナーは、視覚障がい者でもあります。障がいをもっている人を社会から支えられる側としてのカテゴリーに押し込めるのではなく、一人の人間として尊重し、交流することを促す場だと言えるでしょう。
実際に、このようなアートを取り入れたケアの視点は患者にさまざまな良い影響を与えます。ある研究では、美術(visual art)を患者の部屋に2週間飾った結果、患者はアートを通して、社会との繋がりや安らぎを感じたり、自分自身の記憶と向き合うことで病気という状態から気を紛らわせたりする可能性があることが明らかになりました(Nielsen, et al., 2016)。この研究では、身体的、社会的、感情的、認知的という4つの視点から患者への効果を測定しました。この評価方法からもわかるように、アートを用いることで、病気ではなく、患者の全体的な状態への配慮を促すことができます。このように、ケアの精神は患者に好影響を及ぼすのです。
約30年後の2050年に向けての課題は、病院を運営するための多大な費用です。「患者を気に掛ける(care)」ための病院を作り、運営していくためには、アートというゆとりが必要です。誤解を恐れずに言えば、このゆとりは「無駄」であり、効率的な医療の対極にあるものとも言えるでしょう。先程のかがやきロッジ、ビジョンパークは、ゆとりのある設計がされており、このゆとりの分、土地もスタッフも維持費も多くかかってしまいます。実際に、ビジョンパークを運営する公益社団法人NEXT VISIONのホームページには、「支援活動と体制の継続に年間数千万円の支援を必要としています。」と書かれています。アートを取り入れることは一見すると、費用が多くかかって効率が悪い、ただの「無駄」のように感じられます。しかし逆説的に、医療の効率化とは反対方向に進むことで、効率的な医療が達成できるのです。単に病気だけを治すのではなく、患者の全体的な状態を配慮することで、真に「患者」を救うことができるからです。このような全体観をもつことで、費用は決して多くはないと感じられるのではないでしょうか。
以上のように、効率化を目指すだけの医療から脱却し、アートを取り入れることで、「病気を治す(cure)」ことだけでなく、「患者を気に掛ける(care)」ことに焦点があたります。アートは、医学の視点を補うものとして、未来の病院ではさらに大きな役割を担うでしょう。
参考文献
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