暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 星岳雄先生 - 東京カレッジ

暮らしと仕事のエスノグラフィー 学者シリーズ 星岳雄先生

2021.07.23

グラフィックレコーディング©Innovation Team dot 小金丸侑莉

※このブログは「暮らしと仕事のエスノグラフィー」学者シリーズ第3回です。このシリーズでは東京大学内外の著名な研究者に「暮らし」を代表する写真を3枚選んでいただき、それについての語りを通して、暮らしと仕事の繋がりをグラレコとエスノグラフィーで探ります。シリーズの紹介文はこちら エスノグラフィーは、お話しいただいた内容の一部に焦点を当てています。

 

心地よいモノ

語り:星岳雄

エスノグラフィー:赤藤詩織

グラレコ:小金丸侑莉

 今から約20年年前、2人の子どもたちと一緒に、カルフォルニア州サンディエゴで引っ越しを終えたばかりのことだった。大学の授業の準備をする傍ら、研究成果も発表しなければならない。休む暇もなく、帰宅早々書斎に駆け込まれる毎日だった。

 そんなある日、彼の娘が得意そうな様子で話しかけてきた。

 「お父さん、仕事だって言っていつも書斎に閉じこもってるけど、あれ、ウソでしょう。だって私みちゃったもん。」

 満面に笑みを浮かべた彼女は、一体何をみたというのだろう。

 「コンピューターの画面に、ゾンビっていっぱい書いてあった。お父さん、ゾンビのゲームで遊んでるんでしょ。」

 星岳雄先生はゾンビ研究の権威だ。ゾンビ企業とは生産性が高くないにもかかわらず、政府の保護処置を受けてなんとか生き延びている企業のことだ。ゾンビ企業を守る理由は、雇用を守るためだとされている。しかしゾンビ企業を守ることで今ある仕事は守れても、新しい仕事を生み出すことはできない。それでは経済は停滞するばかりだ。また、仕事を「守る」ことで、もっといい仕事を見つける機会を失わせているとも捉えられる。ならば、企業を助けるのではなく、一人一人を助けた方がいいのではないか、そう星先生はゾンビ企業論で説かれている。

 当時幼かった彼女は、そんなゾンビ企業に関する論文の一つを「みちゃった」のだろう。そんな彼女の観察に、「なるほど、僕の生活は、全てが仕事で、全てが遊びなのか」と妙に納得されたそうだ。

 あれから20年。あの時の彼女はもう大人になり、星先生も長く住まれたアメリカから、一昨年(2019)、経済学部の教授として東大に戻ってこられた。以前、東京大学現代日本研究センターの設立イベントで、楽しそうに「Let’s have fun!」と参加者を巻き込んでいらっしゃったのが印象に残っていたので、インタビューにお誘いすると、意外にも「『暮らし』が基本的にはないので、それをあらわす写真もほとんどありません。」とお返事が返ってきた。

 そう断りながらも快諾してくださった先生の写真の一枚には、アメリカから日本への移動を象徴するかのような、アメフトとヤクルトのユニフォームが写っていた。二つ合わせて先生の名前になっているところが、なんともお茶目だ。

 アメリカに住んでおられた頃は、休日を同僚や卒業生、学生たちとともにアメフト観戦で過ごされることが多かったそうだ。応援していたのは地元サンディエゴのチャージャーズ。Takeoと同僚から呼ばれていた星先生は、その時ラインバックで活躍していたTakeo SpikesさんのSpikesと書かれたユニフォームをTakeoと仕立て直して応援された。

 日本に戻ってきてからは、Takeoより、「Hoshi先生」と呼ばれることの方が多くなった。「チャージャーズの次はヤクルトと思って、(自分と名前が同じ)星投手の『星』と書かれたジャージを買って準備しているのですが、コロナでなかなか試合がなく、まだチャージャーズに替わるものは見つかっていないのです。」

 そのかわり、コロナ禍では家の近くを散歩することが多くなったそうだ。

 散歩中に音楽など聴かれるのだろうか。グラレコ 担当の小金丸さんの質問に、間髪を入れず、短い答えが返ってきた。

 「聴きません。」

 飾らない言葉に、思わず3人とも吹き出した。

 「散歩の時は音楽ではなく、オーディオブックを聞いています。できれば自分の専門に近い本を読みます。つまり、専門にスバリではないけれど関係のあるモノ。例えば、最近読んだ本はNeil Ferguson のDoomでした。災害や事故に社会がどれだけ弱いかを、経済史の視点から語った本です。まず耳で聞いてみて、よかったら本を買って目で読んで、次に論文を書く参考にする、ということをしています。」

 なるほど、その研究に対する姿勢、私もぜひ参考にしたいと書き留めていると、突然、先生の語りが止まった。

 「やっぱり、僕の生活には『暮らし』がないですね。」

 申し訳そうな先生のお顔を見て、一体、暮らしとはなんだろうかと考えてみた。ワークライフバランスに関連する英語で、Switch Offという表現がある。電源をオン・オフするように、私たちは仕事場を離れたら頭を「仕事以外のもの」にパチンと切り替えることを勧められてきた。だから、「暮らし」というと、仕事と全く関係のないもののことのように思う。しかし、同僚や学生とアメフトを観戦し、散歩中も研究と関係のある本を聞いている星先生の「暮らし」は、どうも仕事との境界線が曖昧だ。つまり、それらは「専門にズバリではないけれど関係のあるモノ」である。そう暮らしを捉え直してみると、東京大学現代日本センターの設立イベントで「Let’s have fun!」と仰られていたのが腑に落ちた。20年前、父親の仕事を遊びだと言った彼女は、誰よりも先にそれを見抜いていたようだ。

 しかし一見仕事と全く関係のないように思うモノも、実は「ズバリではないけれど関係のあるモノ」だということに、先ほどの散歩の写真を後でもう一度みていて気がついた。インタビュー中は、本についてばかり質問してしまい気づかなかったが、よくよく見ると、なんだか変わったマスクを着けておいでではないか。思わずインタビュー後に先生にメールした。1時間もしないうちに返ってきた答えは、相変わらず短かった。

 「マスクは妻の手作りです。」

 インタビュー中にもっともっとマスクについて聞かなかったことを後悔した。

 私は本を聞くというアクティビティーに集中するせいで、散歩中に身に付けていたモノを見逃してしまっていた。誰かについて知ろうとする時、その人が身につけているモノよりも、その人が行うアクティビティの方が注目を集めやすい。しかし、モノはしばしば私たちの生活について、アクティビティと同じくらい、あるいはそれ以上に物語を語る。私は見落としてしまったが、もう一度よく見ると、先生が選ばれた暮らしの写真は、全てモノだった。ユニフォーム、マスク、そして最後の台所の写真。これらのモノに、仕事の引越し先でゾンビをみちゃった娘や、パートナーの物語が詰まっていた。

 もし今からでも遅くなければ、最後のモノ・台所の写真を通して、星先生の暮らしと仕事をのぞいてみたい。

そういえば、今回のインタビューも引越し直後だった。東京での家探しには時間がかかったそうだ。星先生は、家であっても仕事がしやすい環境であることが大事だった。しかし。

 「僕は職場に近く、通勤に便利で、あと、仕事ができるように、インターネットの環境が整っていることが大事だったのですが、妻は日当たりがよく、オープンキッチンがあって、買い物に便利なところが良いと言っていました。2人の希望を合わせた場所がなかなか見つからず、随分と家探しに時間をかけました。」

 何ヶ月かもかけて、やっと2人が幸せになる家をかりることが出来た。最後の写真は、そんな引越しの最中のものだった。メジャーを手にキッチンに立つ星先生の姿に、オープンキッチンで弾む対話が聞こえてくる。暮らしがないと言いながら、ちゃっかり台所改善計画に参加しているではないか。

 新しいお住まいからは、昔、彼の仕事をアソビだと思った彼女から勧められたアレクサンダー・メソッドの教室にも通われているそうだ。週末はそこに通い、体の調子を整える。「5、6年前に娘に教わってからずっと続けているのですが、おかげで体の衰えを感じないのです。」

 ユニフォームに記された「タケオ」という名前で星先生を呼ぶ仲間たち。コロナ 禍で先生のためにマスクを作ったパートナー。時間をかけて選んだ、その家族と住むための場所。モノに具現化された「暮らし」は、必ずしも仕事の延長線上にあるものではなかった。しかしそうでいて、それらはズバリでないけれど仕事と関わり合っている。

 「『暮らし』が基本的にはないので、それをあらわす写真もほとんどありません。」そう仰る星先生の言葉と、差し出されたモノの写真のギャップに、ほっと心が和んだ。

 

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