インクルーシブな高等教育の未来のために多様性文化センターを!
障がいに関する歴史研究者であり、現在日本で活動しているアクセシビリティ・コンサルタントでもある私は、インクルーシブな高等教育の未来についてよく意見を求められます。誰もが参加できる快適なキャンパス環境をつくるために、大学関係者には何ができるのでしょうか。キャンパスの多様化は自然科学や人文科学のイノベーションを生み、他の社会セクターに影響する政策介入につながる可能性もありますから、この問いかけはきわめて重要です。日本では特にそうです。障害者差別解消法が近年制定されたにもかかわらず(2016年施行)、日本学生支援機構の調査(JASSO 2021)によると、障がいをもっていると自らを認識している学生の割合は全学生数の1%にとどまっています。インクルージョンの問題を解決する万能の「特効薬」があるとは言いませんが、適切な方向への一歩をこのブログで提案しようと思います。それは多様性文化センターをつくることです。多様性文化センターは、当事者と、研究者や実務専門家の広範なコミュニティをつなぐのに役立つさまざまなサービスを提供し、建造環境に加え、教育・雇用・娯楽・医療面のアクセシビリティを妨げる要因を特定し、解決しようとします。以下では、そうしたサービスの一部について略述し、多様性文化センターが障がい者や女性、性的少数者などの弱者をいかにエンパワーメントするかを示したいと思います。
最初に断っておきますが、大学に設置された多様性文化センターの組織や運営は大学によってずいぶん違います。それは当然でしょう。自治体によって人口構成が違い、公平性をめぐって長年未解決の課題も違うからです。さらに、多様性文化センターの運営者は特定の社会的・政治的・経済的な状況下で活動していて、物理的な課題のほか資金難、人員不足といった課題をたいてい抱えています。そのため、多様性文化センターを単体としてつくる大学もあれば(オハイオ州立大学など)、複数の組織で構成する大学もあります(ペンシルバニア大学、イリノイ大学シカゴ校など)。ある多様性文化センターの対象が特定の一集団であれ複数の集団であれ、交差するアイデンティティ要因にも目を向けてサポート体制を組む点はおおむね共通しています。たとえば、障がい者文化センターは障がい者のニーズを強調するでしょうが、ジェンダーや人種、階級といったアイデンティティ要因に特化した団体と協働することもあります。そうした協働は対象者に合ったサービスの開発を促進しますが、対象者の人数、複雑性、特殊性ゆえにサービスを分類しにくい場合があります。とはいえ、このブログでは、そうしたサービスを、①学術イベント、②構造的な対話、③文化活動、④アウトリーチ、⑤相談の5つのカテゴリーに分けます。
多くの大学にはこれらのサービスを提供する仕組みがすでにあります。学術イベントは多くの研究機関にとって最も重要なものであり、多様性の問題に直接かかわるテーマを含め、さまざまなテーマで授業、講義、研究発表、シンポジウムが行なわれています。同様に、対話集会や公開討論、ディベートなど構造的な対話は現代の高等教育の特徴であり、美術展や映画上映などの文化活動もそうです。コミュニティアウトリーチ活動は市民のボランティア活動から企業との協働にまでわたり、学術界で高く評価されています。学生生活や進路指導、健康、安全について関係教員や大学職員に相談することは今や、教育から就職への移行に欠かせないものになっています。これらのサービスがどれもすでに利用可能なら、多様性文化センターはなぜ必要なのでしょう。私が思うに、その答えは、効果を低減させコストを増大させる「サイロ化」という問題にあります。
今日、日本に限らず多くの大学はひどく分権化しています。理論上、大学の資源を学内の異なる分野に配分すれば、関係者はそれぞれの専門分野に応じた貢献ができ、コストも減ります。しかし実際には、そうした分野別配分は学問分野の分断を露呈させ、学際的研究の推進にもかかわらず、コミュニケーションを阻害します。こうした悩ましい傾向は、インクルーシブな高等教育を推進する現在の取り組みにもはっきり見てとれます。ジェンダー、セクシュアリティなどのアイデンティティ要因をテーマとした学術イベントの主催者は多くの場合、学内のコミュニティに影響する問題をより構造的に扱う対話とは切り離してプログラムを組みます。さらに、多様性の問題への意識喚起を図る文化活動のコーディネーターは問題解決にあたって、地域社会と接触せず、地元企業や同窓会を巻き込もうとしないことが多い。そしてこれはもちろん、多様性に関する専門相談員には言うまでもありませんが、大学側が示すサービス一覧はつねに変化し、膨らむばかりで、相談員はそれを追いかけるのに日々苦労しています。コミュニケーションのそうした断絶によって、善意の個人が無用なサービスを無駄に生み出すことがあります。そういうサービスでは、多様な人々が抱える問題は一向に減りません。
多様性文化センターは、現在のサービスを効率化し、協働と交流の新たな機会をつくることで、大学のサイロ化問題の解決を助けます。多様性関連の活動を調整し、コミュニケーションを図る一元的な拠点を提供すればコストを削減でき、インクルージョン活動がその対象者に届き、そうした人たちに便益をもたらすでしょう。まさに、多様性文化センターの設立は、多様な人々自身が活動の計画・実行に参画する重要な機会を提供します。キャンパス内に分散する複雑なサービス網を探り当てる身体的・精神的労力は不要となり、研究分野はもとより、構造環境、教育、雇用、娯楽、医療をも変える知見を一人ひとりが提示できるかもしれません。さまざまな課題を克服する実体験から得た知恵を、多様性文化センターで学生や教員、職員、卒業生、地元企業の経営者などと共有することで、多様な人々にたいする公平性とアクセス向上の概念に変革をもたらすかもしれません。実際、そうしたステークホルダーが集団で新しい概念をつくれば、世界的な共鳴を得てプロジェクトを進めることすら可能でしょう。
多様性文化センターと高等教育の未来に関する本ブログの結びに、インクルーシブ社会の形成に大学が果たす特異な役割を強調しておきたいと思います。教室は、さまざまな学問分野の現在と将来の専門家が集まって、多様性、公平性、アクセシビリティ、社会正義にかかわる問題に取り組む特別な恵まれた空間です。建築家、エンジニア、教育者、政策決定者、政府官僚、活動家、支援者などが意図して、あるいは意図せず集まれる場所は他にほとんどありません。大学は社会の中核を担う立場を生かして、女性や子ども、高齢者、障がい者、性的少数者など弱者のために社会変革を生み出すことができます。ただし、望ましい社会変革たらしめるには、高等教育機関の運営者はサービスの効率化に努め、関係するコミュニティの人々と協力しなければなりません。そのための第一歩として、多様性文化センターの設立を提案したいと思います。