メタバースとは何か? どのように活用できるのか?
このブログ記事は、東京大学で行われた2022-2023年度全学セミナー『ヒューマニティーとデジタル』の授業の一環で作られました。
執筆者
藤田真之
東京大学教養学部前期課程文科三類 学部生
「メタバース」という言葉を聞くとわくわくしますか。それとも、不信感を覚えますか。いずれにせよ、2021年にフェイスブックが社名をメタに変えたとき、多くの人がメタバースについて何かしら耳にしたことでしょう。このブログではまず、メタバースの定義を示します。次に、メタバースのプラス面を紹介します。そして最後に、そうしたプラスの側面がマイナスに転じる可能性に触れます。
メタバースの定義はまだ統一されていませんが、一般的な定義はあります。 ミスタキディス(Mystakidis 2022)によると、メタバースとはポスト現実空間、つまり、物理的な現実とデジタル仮想現実を融合させた永続的なマルチユーザー環境をいいます。メタバースではVRゴーグルを使うことが多く、ユーザーは実際にデジタル世界にいるかのような感覚を味わえます。
メタバースが話題になると、当然ながら、インターネットとどう違うのかという疑問が出てきます。大きな違いはそれらの目的にあります(Unblend with Nicky 2021)。インターネットはユーザー同士の交流を必ずしも必要としませんが、メタバースはデジタルヒューマンの交流が基盤となります。メタバースでは、ユーザーは職場、学校、趣味の世界で仮想空間を共有します。
メタバースにはさらに二つの特徴があると言えます。一つは没入性です。リーら(Lee et al. 2021)は、メタバースの中心概念は、没入型のインターネットによって、統一された永続的かつ共通の場が提供されることだと述べています。VRゴーグルを装着して見える場面に実際にいるかのように感じられるのです。
もう一つは、メタバース上につくられる仮想の場所が分権化可能であることです。メタバースが分散型の世界であることを期待する人々もいます。たとえば、ディセントラランド(Decentraland)という仮想プラットフォームがあります。公式ウェブサイトによると、ディセントラランドはユーザーが所有する仮想世界です。ユーザーはこのプラットフォームでコンテンツやアプリを作成し、体験し、売買できます。メタバースでゲームを楽しみ、ミュージックフェスに参加できるだけでなく、ほかにもいろいろなことができます(Decentraland n.d.)。
メタバースに象徴される技術革新は私たちの社会やウェルビーイングに影響する可能性があります。ここでは、重要な二つの分野として仮想コミュニティとメンタルヘルスに触れたいと思います。
メタバースを利用すると仮想コミュニティが生まれ、私たちは世界中のどこに住んでいる人とも交流できます。メタバースに職場をつくることができます。たとえばマイクロソフトは、Microsoft Mesh(マイクロソフト・メッシュ)を立ち上げると発表しました。そこでは、マイクロソフトの従業員は物理的にどこにいようと、メタバースの仮想オフィスで共同作業に参加できるのです(Qian & Walker 2022)。
また、職場だけでなく、共通の趣味に特化したコミュニティを形成することもできます。最近の一例は、オンラインビデオゲーム「フォートナイト」の仮想空間で開催された「アストロノミカル」というライブ・イベントでトラヴィス・スコットがパフォーマンスしました。これは短時間のイベントでしたが、フォートナイトの運営会社エピックによると、1200万人以上が視聴しました(Their 2020)。多くの人が仮想コミュニティに関心を寄せており、経済的可能性も大きく、仮想コミュニティは市場としても機能するかもしれません。
さらにメタバースでは、特別に設計されたVRツールがメンタルヘルス問題の克服に役立つ可能性があります。バーチャルリアリティ曝露療法(VRET)は、恐怖症に苦しんでいる人たちの役に立てます。VR曝露療法は、恐怖症のような精神疾患への従来の対応法である「曝露療法」に基づいています。曝露療法では、自分が恐れている状況をシミュレーションし、そうした状況に現実に対処しうることを徐々に学んで恐怖を克服します(橋本 2019)。VR曝露療法はこうした療法の仮想版と言えます。
メンタルヘルスのためのVR臨床試験では、そうした治療的介入が、たとえば広場恐怖症の治療に有効であることが証明されています。広場恐怖症の人は自宅から出たがらず、他人との関係を断つ傾向にあります。しかしVR曝露療法を用いると、自宅にいながら、屋外で恐怖を感じる状況に仮想空間で慣れることができます。VR曝露療法のメリットは、現実の状況を再現できることだけでなく、自動化され、セラピストがその場にいる必要がないので多くの人が治療を受けられるという点にあります。現実世界ではセラピストの数が足りず、患者の要求に応えられない場合が多々あります(University of Oxford 2022)。
ある研究によると、VR曝露療法はPTSD(心的外傷後ストレス障害)や他の恐怖症の治療にも有効であることがわかっています(Deng et al. 2019)。したがって、自動車事故でPTSDになった場合、仮想シミュレーションでPTSDの症状を軽減できるかもしれません。VRの二つの大きなメリットは制御可能性と柔軟性にあります(Bottela et al. 2017)。クリスティナ・ボッテラらの研究でわかったことですが、仮想世界は、安全な仮想環境をユーザーに保証したうえで、いくつか重要な点で現実を超えうる大きな可能性を提供します。
ここまで、メタバースとVRがメンタルヘルス問題への対処にいかに役立つかを見てきましたが、メタバースには懸念されることもあります。皮肉にも、そうした懸念はこれまで述べてきたメリットから生じます。
私たちはメタバースの仮想コミュニティで楽しい体験をするでしょうが、それは共感の欠如につながる恐れがあります。この問題を、マサチューセッツ工科大学教授で心理学者のシェリー・タークルが提起しています(Turkle 2022)。タークルによると、人々は考え方を同じくする人たちが集まる仮想コミュニティを選ぶようになり、そうなると、多様なコミュニティに対応し不和に対処する習慣を養う必要がなくなります。自分に合わないと思う場所からすぐに逃げられるからです。さらに、ついには共感力を失うのではないかという懸念が生まれます。
タークルの議論には説得力があります。個性や民族、社会的地位、政治的意見が似通った人たちばかりの仮想コミュニティで、人と人が交わっていろいろなことができるなら、分断が生じ、集団間のつながりがなくなっていくかもしれません。そうなると、現実の厄介な非デジタル世界で他者と折り合うことが困難になりかねません。このように、メタバースの仮想世界で生じる問題が現実世界に影響する可能性があります。
また、PTSDの症状軽減にVR曝露療法が用いられるということは、かえってメンタルヘルス問題を増幅させる可能性を示唆します。メタバースで友人と戦闘ゲームをしているとしましょう。仮想世界にすっかり没入し、そこで友だちのアバターが殺されるのを目にすると、それがPTSDを引き起こすことがあります。あるいは、メタバースでゲーム中に友だちのアバターが自動車事故で死ぬのを見ると、後でPTSDに苦しむことになるかもしれません。メタバースがユーザーの心を完全に独占しうるとすれば、それは有害というほかなく、「仮想」体験にとどまりません。PTSDは、トラウマ的な出来事の被害者だけでなく目撃者にも起こることがありますので、衝撃的な場面に居合わせた人も傷つく可能性があります。仮想現実と物理現実の区別がつかず、メタバースで起きることを現実のこととして体験するかもしれません。メタバースの重要な特徴の一つである没入性がマイナスに作用しかねないのです。ストレスの多い出来事がメタバースで起きると、現実世界で苦しむかもしれません。
これら二つの問題には共通する点があります:いずれもメタバース空間を越えて、目に見える影響を及ぼします。非デジタル世界の私たちの生活が影響を受けるのです。
Stéphane Bernard撮影 https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/Ozz3tk1Jz4I
これらの問題を解決するのは不可能とも思えます。つまるところ、人々がメタバースの心地よいコミュニティに浸ることを選ぶのは当然でしょう。自分と合わない人がいる場所にいたいと誰が思うでしょうか。
話題になっているテーマについて討論するなど、意見を交わす機会を学生たちに提供できれば、問題の解決に役立つかもしれません。学校は一般に、背景を異にする者が多数集まる場ですから、共感をはぐくみ、討論のスキルを養う格好の場所です。そうした教育がなければ、学生は他者に共感できず、将来就職したり、親になったりした時に困難を抱えるかもしれません。
私たちは学校、職場、趣味仲間などのコミュニティをすべてメタバースに移行させようとするかもしれません。しかし、基本的な疑問が生じます。この目標は本当に現実的なのでしょうか、望ましいのでしょうか。技術的に可能だとしても、私たちは身体を物理世界において、一日中メタバースで過ごしたいと思うでしょうか。物理世界の人と交流しないで幸せな生活が送れるでしょうか。答えが「ノー」なら、メタバースは、人間のさまざまな課題に対する完璧な解決策とはならないでしょう。
潜在的に有害であったりトラウマ的なコンテンツを防止するために規制が必要だと考えるのは当然ですが、これは難しいでしょう。メタバースは分権的に構築され、個々のユーザーが仮想不動産を所有しているからです。可能な対処法としては、AIとアルゴリズムを用いて、メタバースで起きることを監視し、有害な事象を報告し排除することでしょう。それは現在、ソーシャルメディア・プラットフォームである程度行なわれていることです。しかし、政府、あるいはプラットフォームを提供する企業が仮想世界での私たちの生活を監視することを許せば、プライバシーの問題が生じかねません。
要するに、仕事、教育、趣味、心理学的治療などさまざまな目的の仮想世界がすでに存在しますが、それらをつないで一つのメタバース世界を形成するまでには至っていません。今後、メタバースで過ごす時間が増え、どのコミュニティに属するかを容易に選び変更できるようになれば、道徳観や政治的意見、社会経済的地位、民族が自分と異なる人を理解しようとしなくなるかもしれません。さらに、深く没入できるコンテンツを、原則として誰でもメタバースで作成できるので、メンタルヘルス問題を引き起こしかねない衝撃的あるいは有害なコンテンツに出合うかもしれません。
メタバースのマイナス面はデジタルアバターに影響するだけでなく、物理世界の私たちの生活にも影響します。メタバースがさらに発展して私たちの生活に深く浸透する前に、共感の総体的な喪失というリスクや、衝撃的な出来事を目撃したことによる心理面に及ぼす悪影響といった問題に適切に対処する方法を見つけ出すことが不可欠なのです。
参考文献
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